ぺこさんとりゅうちぇるさんの件について思うこと

 ぺこさんとりゅうちぇるさんが、婚姻関係を解消したような内容でそれぞれインスタグラムを更新した。

 ぺこさんとりゅうちぇるさんと言えば、私がうだつの上がらない大学生だった頃に彗星の如く現れて、社会を明るく賑わせた同年代のスターカップルである。
 2人ともアメリカのお人形のようなビジュアルで、ハキハキとモノを言うお嬢様なぺこさんと、フェミニンで考え方がしっかりとしているりゅうちぇるさん。
 お似合いの2人はあっという間に結婚して子どもを授かり、“新しい時代の夫婦”を象徴するような存在だった。

 今回、ぺこさんが投稿の中でりゅうちぇるさんについて「旦那だった」としているため、2人は夫婦関係を解消したものと思われる。
 理由は、りゅうちぇるさんが「ぺこさんを含めた全ての人達に隠していたことがあり、抱える苦しみに耐えかねたため」とのことだ。

 夫婦関係を解消するとはいっても、今後もお互いにパートナーであり、子どもは2人で育てるということで文面は締められている。

 りゅうちぇるさんの「隠していたこと」については様々な憶測があり、ぺこさんも「墓場まで持って行ってほしかった」と記している。
 本人達以外の人間には知る由もないが、りゅうちぇるさんの投稿内容から、「男性として社会の中で期待される役割に疲れてしまった」ということと関係があることは間違いない。

 ここから先は私の妄想に過ぎないが、りゅうちぇるさんは元々、身体的な性別は男性だが精神的な性別は女性だったのではないだろうか。
 恋愛対象も男性だったかもしれないし、あるいは恋愛感情というものをあまり持っていなかったかもしれない。
 だが原宿でぺこさんに出会って、自分の理想の――自分が『彼女自身になりたい』という意味合いでの――女性を人生で初めて見つけた。
「彼女のような可愛らしくて素敵な女の子になりたい」「彼女のことをもっと知りたい」という思いと2人の身体的な性別の違いが、いつしか「男性としての自分が女性に対して初めて持った恋愛感情」のように思えてきたのかもしれない。
 憧れと愛情がないまぜになり、ぺこさんとずっと一緒にいたい、と願うようになったりゅうちぇるさんだが、りゅうちぇるさんが身体的には男性であり、ぺこさんは女性であるため、目の前にある選択肢はひとつだけだ。

 結婚である。

 独身の成年男女の2人組が、2人でいることを社会に認められるためには、結婚をしなければならないのだ。
 そして、結婚というシステムは社会の生産性を上げるために作られたため、結婚した男女は基本的には子を生さなければならない。
 子を生すには互いに互いを性的対象とする必要があり、社会の治安を維持するため、結婚後の男女は性的欲求の相手を互いのみに限定される。
 生まれた子は、将来立派な納税者になるべく適切に養育されなければならない。
 子を立派な納税者に育て上げるためには、父親たる男性は男らしく家庭に君臨し、母親たる女性は女らしく家庭を守らなければいけない。

 大好きな人と一緒にいるために結婚をしたりゅうちぇるさんだが、徐々に結婚というシステムが自分自身に合っていないことに気がつく。
 なぜ合わないのか?

 りゅうちぇるさん自身の中に、「男らしく家庭に君臨する父親たる自分」のパーソナリティーが存在しないためである。

――自分は何を目指していたんだっけ?
ぺこさんのような、可愛らしくて素敵な女性になりたかったはず――

 ぺこさんのことは本当に愛している。結婚するカップルに必要とされる性愛でなくとも、ぺこさんというひとりの人間を、心の底から尊敬して愛している。
 子どもについても同様で、心から愛するぺこさんが命懸けで産んでくれた子どもという奇跡の存在を、愛おしく感じないわけはない。

 ぺこさんのため、子どものためと走ってきたけれど、無い袖は振れず、元々精神的に男性でない自分自身が男性として生きることはあまりに難しい。

 ……と、最初から最後まで全て私の妄想ではあるが、この社会が「成年男女がパートナーでいることを社会的に認められるためには生殖を伴う結婚をしなければならない」という前提でなく、たとえば、「生殖を伴わないが気心の知れた友人同士で結ぶことができるパートナーシップ」などが存在すれば、この2人にも違う道があったかもしれない。
 実際のところは当人達以外には分からないが、ぺこさんとりゅうちぇるさんは、時代と社会システムに翻弄された被害者とも言えるのではないだろうか。

 社会の生産性を上げることの目的は、多くの人々が豊かに、幸せになることだ。
 効率良くより沢山の人たちが幸せになるように、家族制度や結婚のシステムが作られた。

 だがいつしか、人々が幸せになるための手段であったはずの「社会の生産性を上げること」自体が1人で歩き出してしまい、人々はシステムに縛られるようになり、システムからあぶれる人達は悪とされ、蔑まれ、転落していく者まで出るようになった。

 一度冷静になって考えなければいけない。
 システムは人間のためにあるもので、システムを存続させるために人間の方を無理にシステムに合わせようとするのでは、本末転倒である。
 そうした動きが出てきた時点で、そのシステムは元々の「人間の幸せのため」という役目にそぐわない。

「互いのみを性愛の対象とする生殖可能な男女の2人組」の存在に頼り切ったいまの社会システムは、もう限界を迎えているのではないだろうか。
 同性同士、友人同士、性的関係を伴わない者同士など、あらゆる種類の人間が支え合って豊かになり、社会の維持へ貢献するためのシステムが必要とされている。

 私たちは怒ったり泣いたりしながらシステムの奴隷に甘んじている場合ではなく、自分達が本当に幸せになるための新しいシステムを作り上げていくべき時代に差し掛かっているのだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました